4時のバカっ晴れ

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3月11日

20160311


先週、5度目の3月11日を迎えました。
もう5年。まだ5年。


今年は、東京ビッグサイトで作品展示をしていたので
ゆりかもめに乗って海を見ながら会場に向かいました。

満員電車に海の真上で揺られながら
あのときここで地震に遭われた方は、本当に大変だっただろうなと
直接の大きな被災地ではないけれど
人口も多く、複雑にシステム化されている都会での被災の大変さをあらためて思いました。

それぞれの場所に、それぞれの苦労があったと思います。
大小はあるかもしれないけれど、それは個々に違っていて。


3月。
みんなが3月11日を意識します。
意識せざるを得ない、意識して当たり前、みたいになっているところがあります。
それがいいことなのかどうかはわからないけど、
そのこと自体はうれしくもあるし、悲しくもあります。

3月だけでなくて、いつもおもってくれたらいいのに、とも思います。




なんにしろ、私にとって3月11日という日は、特別で、とても大切な時間です。







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  1. 2016/03/14(月) 18:04:53|
  2. 地震のこと
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3月11日

本吉の海


4年が経ちました。

広島長崎の人にとって8月6日・9日が、
神戸の人にとって1月17日がそうであるように、
3月11日という日は私(たち)にとって他の日とは全く意味の異なる特別な日になりました。

そして、年々その思いは強まっています。


前の家は仙台でも標高の高いところにあったので、晴れると遠くに海が見えたのですが
海のない県に引っ越してしまって
今年は海の見える場所に行くことができなかったので、すこし寂しかったです。
なので、震災の前に撮った三陸の写真を載せました。
2009年だと思いますが、気仙沼市本吉の、国道45号沿いの海岸です。

本当に、三陸はきれいなところです。
海の幸もとてもおいしいです。夏は涼しくて過ごしやすいです。
人々も、さっぱりと明るい気質で、みんな朗らかです。

自分のルーツが三陸であることを、うれしく思います。



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  1. 2015/03/12(木) 18:59:04|
  2. 地震のこと
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勝手に311を忘れないセンターのこと




震災関連の記事が続いて恐縮ですが…


「勝手に311を忘れないセンター」という取り組みがあります。

これは、私といっしょにnhnというアートユニットをやっている漫画家の南部宏子さん()が発案した
東日本大震災当時の、たくさんの人の体験や気持ちを集めてみよう、という取り組みです。
アイデアを聞いて、その趣旨に賛同した私も運営のひとりです。

たくさんの体験や気持ちを集めると、どうなるのか?というと
「当時のことを忘れないで復興を支援したい」とか
「あのときの体験や気持ちを他の人と共有したい」とか
「来たるべき大災害への教訓や備えに役立てたい」とか
いろいろな面があると思いますが、
そのすべてに当てはまる取り組みであるといいな、と願っています。

誰でも参加することができます。
主に、TwitterやFacebookで
「#勝手に311を忘れないセンター」または「#勝手に311センター」をつけて、
東日本大震災にまつわる投稿をするだけです。
参加方法など詳しくは、「勝手に311を忘れないセンター」のサイト()をごらんください。

そして、参加していただいたたくさんの声が、すでにまとめられています。
随時更新されていますので、ご覧になってみてください。→

「勝手に311を忘れないセンター」のTwitterはこちら。→


ちなみに、仙台のせんだいメディアテークには
「3がつ11にちをわすれないためにセンター」()というのがありますが、
そちらとは一切関係はありません。
志に共感した私たちが本当に勝手にやっています。

「勝手に311を忘れないセンター」についての南部さんのブログも、読んでみてください。→


ひとつでも多くの声を、お待ちしています。


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  1. 2014/03/13(木) 19:20:04|
  2. 地震のこと
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2014年3月11日、荒浜

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荒浜の海は、深沼海岸とも呼ばれ、
以前は海水浴やサーフィンの人で賑わっていたところです。

私にとっても、写真を始めた当初から、
事あるごとに訪れては何十枚も撮ってきた、大切な場所です。

けれどもこの海もまた、
他の多くの沿岸と同じように、たくさんの方々の命が失われ、景色も暮らしも一変してしまいました。




この場所で、集まった方々と肩を並べて黙祷したことで
また三年という節目に、思いを新たにしました。


よい世の中にしたい。
その一端を担っているということを、忘れないでいます。



ありがとう深沼
また来るね。




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テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/12(水) 21:09:31|
  2. 地震のこと
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3月11日





2年が経ちました。
上の写真は、今日、2013年3月11日のJR長町駅付近です。

3月11日はたくさんの人のたくさんの思いが行き交う日ですね。
改めて、亡くなられたみなさんのご冥福をお祈りし、
今も辛い思いをされながら日々を過ごされているみなさんに、
一日も早く安心して暮らせる日が訪れるようお祈りいたします。

そして、ついつい「自分がなにをしたか、できたか」ばかり気になってしまうのですが、
あのとき、たくさんの方に励ましや心配のお気持ちをいただいたことも決して忘れません。
たくさんのお心が本当にうれしかったです。ありがとうございました。


私自身があの日どうしていたか、
仙台にいながら被害が最小限だったため、話すこともはばかられる思いでしたが
2年経ちましたので、メモのつもりでここに書いておこうと思います。


不思議なもので、あの日のことは詳細に覚えています。
地震が来る前、お昼に何を食べて同僚とどんな話をしたかまで思い出すことができます。

地震が起こったとき、私は当時の職場にいました。
免震の大きなビルの10階でした。
ビル自体が免震でしたので、ここが倒壊することはないという安心感はありましたが、
そんな免震のビルの壁に亀裂が入っているのを見て、
我が家の1階はつぶれているかもと腹をくくりました。

外回りをしている社員の安否確認が終わるまで、2時間ほどビルから出られませんでした。
その間に、会社の緊急時用の回線で家族に電話をしましたが、つながらず。
何度もかけてやっと父と話しました。

外はすごい吹雪で、窓から、新幹線が線路の途中に止まっているのが見えました。
まわりのビルから人が続々と出てきて集まっていました。

その間にも震度5くらいの揺れが何度も何度もやってきます。
どこかのワンセグから津波の情報が漏れ聞こえてきます。
でも、その時点では到達予想の高さは2mと言っていたのです。
そのうちに携帯の電池もなくなり、情報もわからなくなりました。

退社するように言われ、車で20分の道のりを1時間半かかって帰りました。
なにしろ信号はすべて消え、何度も大きな揺れが来るので、なかなか進みませんでした。
それでも交差点では誰もが譲り合い、混乱やいがみ合いもなくゆっくりと車の列は進みました。

帰り着くと、なんと全壊したと思われた我が家は形がありました。
ただ、玄関が歪んでドアが開かなくなっていました。
なぜか1つだけ鍵のかかっていない窓を見つけて、そこから中に入りました。

揺れの方向のせいか、幸いなことに、
物は落ちまくっていましたが食器棚などの危険なものは無事でした。
(あとで水道管が破裂していたことが判明するのですが)
とにかく明るいうちにと、懐中電灯とラジオを見つけ出し、
周辺の様子を見に行くことにしました。

ラジオを聴きながらコンビニを頼りに歩いて行きました。
すでにほとんどの店は閉まっていましたが、
3軒目でまだ営業している店を見つけ、すぐに並びました。

水が出ないのでウェットティッシュ、
最小限のカップラーメン(4つくらい)、
すでにミネラルウォーターは売り切れていて、緑茶を何本か買いました。
最悪、お茶を沸かしてお湯がわりにラーメンを食べられると思ったからです。
それと電池。ラジオが聞けなくなってはおしまいでしたので。

並んでいるあいだに、コンビニの店員さんが
「レジの非常電源がなくなりそうなので、
 今並んでいる方でもお買い物できない場合があります」と言い、
店内全体がやや危険な空気になりました。
私は買うことができましたが、うしろの方はどこまで買えたのでしょうか…

買い物のあいだにすっかり夜になっていました。
帰る途中で懐中電灯の豆電球が切れてしまいました。
車のヘッドライトしか灯りのない中、
地割れや隆起したマンホールに気をつけながら歩いて帰りました。

家に帰ると、電話の通じなかった家族が帰ってきていて、とてもほっとしました。

水がないので、電気ポットに残っていたお湯を反射式ストーブで沸かして、カップ麺を食べました。
カレーヌードル。
水がとにかくもったいなくて、節約のためにふたりで1つにしました。

ずっとラジオをつけていました。
眠るときも、ラジオがなくては怖いと思うほど、ラジオがあって安心でした。
でも、聞きたいのは「今なにが起こっているか」だけで、
時折かかる応援ソングのような曲は、心が受け付けませんでした。

真っ暗な中、灯油ももったいないので、とにかく寝てしまおうと思い、
すぐに避難できる服装で眠りました。
寝ているあいだも何度も何度も大きな余震が来て、その度に外に飛び出しました。

でも、そうした中でも、避難所に行かずに済んで本当に恵まれていると思いました。
そして、海のほうではあんなに大変な事態になっているとは、想像もしていませんでした。

これが私の経験した2011年3月11日です。



20130311_2.jpg

この写真は、2011年3月13日、近所の道路
今はすっかりきれいに直されています。







  1. 2013/03/11(月) 23:57:38|
  2. 地震のこと
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